<この世の中、欺瞞に満ちている>
悪がはびこる。
その悪をメディアが庇う。
真実が報道されない。
真実でないことが真実の如く報道される。
「架空議決」なのに、「架空議決」と報道するメディアは皆無。
それどころか、読売や朝日新聞は審査員がいて審査会議が開かれた如き怪しい情報をたれ流す。読売新聞2010年10月6日朝刊.pdf、朝日新聞2010年10月5日朝刊.pdf
さらに、一市民Tが最高裁の架空議決を暴き始めると、最高裁側は捏造報告書を流出させ、審査員が存在しそれに誘導されたと見せかけた。メディアも最高裁の窮状を知って「捏造報告書」のことばかりをクローズアップし出した。
9月8日「審査が本格化し、議決は10月末の公算」の報道((9月8日付大手6紙新聞報道.pdf)と「6日後の9月14日民主党代表選投票30分前に起訴議決した」との報道には矛盾があり過ぎだ。その矛盾に気づいていた人達も、捏造報告書の存在を確認するや、「審査員はいたのか、捏造報告書で誘導されたのか」と納得してしまった。
まことに騙されやすい市民ということになる。
<『「検察の捏造報告書誘導説」流布は「架空議決」を消すアリバイ作り!』と書いたら、「志岐の妄想」と攻撃してきた>
5月19日ブログで、『この世は欺瞞だらけ! 「検察の捏造報告書誘導説」流布は「架空議決」を消すアリバイ作り!』と書いた。
検察が積極的に捏造報告書を流出させるとは考えられない。
最高裁あるいは最高裁に組する者が、検察から捏造報告書をもらって流出させたに違いない。権力側は「最高裁の架空議決が世間に知れたら大変なことになる」と考えた。「お家の一大事」とばかり、検察が犠牲になったと読む。
ブログにこのことを掲載した途端、検察を追及している活動家が一市民Tを攻撃してきた。
「志岐説は妄想」というのである。
攻撃に何の論拠もない。
「どういうところが妄想か」と質すと、「森ゆうこ議員が審査員は存在した証拠をもっている」と言う。
森ゆうこ議員とは「審査員の存在」について何度も議論している。
森議員は「請求書や審査事件票が多く存在するので審査員がいると思っている」と言っていただけだ。一市民Tは「それらはアリバイ作りで偽造されたものです。騙されないでください」と伝えている。
一市民Tを非難する人々は「架空議決」であっては都合の悪い人達ばかりだ。
<「架空議決説」対「捏造報告書による審査員誘導説」論争大いに盛り上がれ>
忠告を頂くことがある。
「同じ市民が、言い合ってどうする」と。
いがみ合っているつもりはない。
「架空議決説」と「捏造報告書による審査員誘導説」は相いれない。
一方が正しければ、一方は虚偽であり、成立しない。
「捏造報告書による審査員誘導説」を認めるということは、審査員が存在するということだ。最高裁の誤魔化しを認めることだ。
双方仲良くやれという問題ではない。
私はこの非難を全然気にしていない。
いやむしろ非難を歓迎している。
小沢検審は間違いなく「架空議決」だ。
一市民Tはそのことを確信している。
『最高裁が画策した「小沢検審架空議決」』.pdf参照。
だが、「架空議決」かどうかを判断するのは市民だ。
「架空議決は志岐の妄想」とどんどん批判してほしい。
そうすれば、市民が「架空議決かどうか」事件の真相に目を向けることになる。
結果として、市民が、最高裁の「架空議決」に気づいてくれることになるだろう。
「架空議決説」対「捏造報告書による審査員誘導説」論争が大いに盛り上がってほしいと願う。
それにより、国民が真実にたどりつくのである。
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