MENU

5月20日 『最高裁の上の絶対的ポジションの一市民Tさん!』 (ryuubufanのジオログブログより)

 ryuubufanさんがご自身のブログで、一市民Tの活動や拙ブログを紹介してくれる。
 私が言いたいことをズバリ表現してくれる。
 5月19日の「ryuubufanのジオログブログ」をぜひご覧ください。
 https://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/ryuubufan/view/201305
 全文貼り付けさせて頂く。
 ryuubufanさんありがとう。
『    2013 年 5月19日
【夜のメッセージ】最高裁の上の絶対的ポジションの一市民Tさん
 
 このところ一市民Tさんの言動が活発化している。注目している。
 そこで今、一市民Tさんという存在を最高裁との関係で定義づけてみたい。既に一市民Tさんは途轍もない存在になっているからである。一体どういう風に途轍もないのか明らかにしておく必要がある。
 一市民Tさんの行動は全く個人的で自然な思い・正義感から始まった。目の前に見た巨悪の存在の無罪放免の放置があってはならない事として、疑念を一つ一つ追いかけ潰して行った。世の検察官、弁護士、裁判官がこうあれば日本は見事に蘇るという事である。
 しかし、世の中は複雑怪奇な仕組みであり、世の中を動かしている根源のエネルギーは決して善ではない。逆である、悪のエネルギーだ。たとえ最高裁の悪事を暴いたとしても、それが国民に知られる事との間には巨大なギャップがある。このギャップこそ世の中の本質なのだ。法と正義の番人が悪事を働いても国民には知らせない。あってはならない事があると分かっても、その事実を事実上握り潰す。
 何故そんな事になるのか? 実は既に世の中があってはならないものだったからだ。あってはならない世の中があっている現実を、国民に知らせてはいけないという事である。
 世の中にあってはならない事は数あれど、最高裁の架空議決ほどあってはならないものはない。最高裁の架空議決はこの世の中の正体がばれたという事であった。検察の嘘の捜査報告書などは、あってはならないものランキングの小結程度である。最高裁の架空議決など双葉山並みの大横綱という事である。これがあったという事は,最高裁の悪事は昨日今日の話ではなく、少なくともこの半世紀はそうだったという事である。つまり、この日本は少なくとも半世紀はあってはならない国だったという事である。実際その通りである。 最高裁の架空議決というものは、あってはならない国家日本の正体がばれちゃったという事であったのだ。
 こんな大変な事が一市民Tさんによってネット国民に知らされた。こんな大変な事を受け止められる集団は、今の日本にはネット界しかない。政治家なんて受け止められる筈がない。弁護士会も同じだ。メディアなんて全く正視できない。あまりに巨大で、一体どうやって記事やニュースにすればいいか。全く手に負えない場合は扱わないのである。
 一市民Tさんは知らぬ内にあってはならない国家日本の核心部分を握ってしまった。 こんな途轍もない闇をマスゴミが知ったとしたら、絶対に表に出ない。週刊誌では1,2の例外はあっても、決して一斉に動く事はない。このレベルでは国民には伝わらない。従って、ネットでの追及も勿論国民には伝わらない。
 しかし、決定的な事がある。それは一市民Tさんが連日連夜に近く長期間発信し続けている事だ。週刊誌は出ても単発であり、瞬間的インパクトはあるが、結局フェードアウトである。今この日本で最高裁を相手に堂々たる批判言論を繰り返しているのは一市民Tさんのみであり、有資格者も一市民Tさんのみである。
 この凄さを正確に認識していなければいけない。一市民の立場だから最高裁相手に批判言論を繰り返す事ができる。何らかの組織の背景があれば無理である。一個人という立場は弱いが、同時に言えるのは壷に嵌ると強いという事である。ネット時代だからあり得た一市民による最高裁批判言論。一市民だから、自由な立場だから、最高裁を攻撃できた。正に主権者国民が一番強いのである。一市民とは主権者国民という事でもある。
 一市民対最高裁。主権者国民対最高裁。
 
 この対決図式は主権者国民の力を見せる最高の舞台である。最高裁を超える権威は存在しない。そして、最高裁の悪事ほど目立つものはない。この対決図式は初めから勝負がついている。一市民Tさんは既に架空議決と断言している。その根拠も当然にある訳だが、それ以前にこの対決図式ができた瞬間に勝負はついていたのである。最高裁側はもう負けている事を知っているから、完黙あるのみである。国会議員達も最高裁の崩壊など想像できないから完黙しかない。一市民、主権者国民しか声を上げられない。そして今、一市民Tさんは完全に最高裁を見下ろしている。
 今一市民Tさんの最高裁批判発言に物を言える人間は一人もいない。それは普通あり得ない絶対的立場というものである。最高裁がその立場にあるのが普通だが、その立場を超える立場が今の一市民Tさんである。凄まじいポジションである。
 よって、一市民Tさんは全く慌てる必要はない。絶対的ポジションを得ている認識を持って、悠然と最高裁批判言論を展開していけばいいのである。一市民Tさんの発言は絶対の力である。最高裁は肉をえぐられる。日本の民主主義が蘇る。
               作成者 ryuubufan : 2013年5月20日(月) 00:03 』

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

志岐武彦のアバター 志岐武彦 一市民が斬る!! [Civil Opinions Blog]

日本の政治、行政、司法が、どうしようもなく劣化してしまったことを憂う一市民です。私達は、5年間の調査で、最高裁事務総局が管理する検察審査会が小沢一郎議員を架空議決で起訴議決してしまったことを確信しました。2012年には『最高裁の罠』(K&Kプレス)を著しました。2015年には、「最高裁をただす市民の会」のホームページを立ち上げました。

コメント

コメントする

目次