5月19日記事 「小沢一郎はなぜ同情されるのか」の一節「大衆レベルでも検察・メディア不信」で、本ブログ紹介
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5月11日、週刊金曜日編集部に電話。
Hiraiさんという記者に、メディア虚報報道の怒りをぶちまけ、虚報問題を週刊金曜日で取り上げてくれないかとお願い。 Hiraiさん、「最近、市民の間でも、検察・メディア不信が湧き上がってきている。そのことを書いてみたいが、まずは貴方のブログを"きんようブログ"で紹介する」と有難いお言葉。
5月19日、「小沢一郎はなぜ同情されるのか」の一節で、本ブログと私のことを紹介。
「大衆レベルでも検察・メディア不信」の全文を以下に掲載。
『
●大衆レベルでも検察・メディア不信
上記のような活動を支えているものひとつにはオンラインの世界がある。そこでは民主党に批判的な声もあるが、メディアの誤報ではなく虚報を追及する声がみつかる。マスメディア不信という直感を裏付け、自信をもたせ、行動にもつなげていく。
検察リーク報道を実証的に証明しようと試みているのが次のブログである。
ブログ「一市民が斬る」 https://civilopinions.main.jp/
日経と読売の今年1月25日の誤報を追及している。石川議員の手帳があったという報道だ。だが、そのような手帳は、実際は発見されていない。翌日に早くも両紙は訂正を出している。
この一件を書いたブロガーの男性から編集部に電話があった。話を聞くと記者経験もない一市民の男性だという。日経新聞本社にまで乗り込んでいる。一市民として誤報追及に関して、ほぼやりつくしたと言ってもいい。
原動力は、<検察リークで虚報を垂れ流すメディア>に対する公憤のようであった。これまで、このような行動は、表に出ることはなかった。だが、自分の行動を公に記録に残すことができるオンラインの世界ではすべてがあからさまになる。行動したことを公に記録に残せる。これが行動しがいがあるということになるのだろうか。
「一市民が斬る」さんのような、メディアリテラシー記事は、オンラインの世界において専業ジャーナリズム以外にも可能になっている。このようなブロガーを日経新聞のようにナメテいると新聞はいずれ痛い目に会うだろう。
』
Hiraiさんの書かれた通り、私の原動力は公憤だ。
日経・読売は、高い購読料を払ってくれる購読者を騙して、のうのうとしているのだから許せない。
日経・読売は、小沢氏を潰すためなら虚報を出すこともいとわない。
「検察が虚報をリークした」と報道するマスメディアは皆無だ。
検察捜査の行き過ぎを批判するマスメディアも少ない。
読売・日経の虚報報道事件を取り上げる勇気をもったマスメディアも現れない。
「一市民として誤報追及に関して、ほぼやりつくしたと言ってもいい。」とHiraiさんに評価して頂いた。
一市民として、これ以上日経・読売を直接追及することは限界。
これからは、このことを国民に知らせることに全力を尽くすしかない。
国民が、日経・読売に重い鉄槌を下す日が来ることを信じながら。
拙いブログを隅まで読んでくれて、多くの読者に知らせて頂いたHiraiさんと週間金曜日に感謝。
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