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11月22日 小沢検審"架空議決の根拠"②  審査会議が開かれていたら、検察官説明なしでの"起訴議決"はありえない!

 <起訴議決前の検察官説明は、起訴議決に必須の事項>
 
 検察審査会法41条で「検察審査会は起訴議決するときは、あらかじめ、検察官に対し検察審査会議に出席し意見を述べる機会を与えなければならない」とある。
 起訴議決前の検察官説明は起訴議決に必須の条件である。 言い方を変えれば、「検察官の説明」なしでは起訴議決はできない。
 そしてこのことは、審査開始前に検察審査員に十分説明されている。
 ところが、小沢検審において、説明役である斉藤検察官は9月14日前に検審に説明に行っていないという事実が判明した。
 
 <9月14日以前に検察官説明がなかったということは、9月14日起訴議決は架空!>
  
 審査会議が開かれていて、9月14日時点で斉藤検察官が都合で説明に来れないことがわかったら、検察審査員は"代わりの検察官"(たとえば田代検事)に説明させるか、議決日を延ばして齋藤検察官の説明を受けてから議決するかのどちらかを選択するしかない。
 検察審査員にとって何が何でも9月14日に議決しなければならない理由はない。
 事実、検審関係者は9月8日に「議決は10月末の公算」とリークしていた。
 
 よって、本当に審査会議が開かれていたら、検察官の説明なしに9月14日に起訴議決してしまうことはありえない。
 これを起訴議決したとするなら、その議決は架空議決でしかない。

  「斉藤検察官が起訴議決前に説明に行っていない」ことを以下に説明
 <「斉藤検察官が9月28日に検審に説明に行った」という事実>
 
 9月14日に起訴議決されたと発表された。
 ところが、森議員のブレーンだったⅩ氏が、森議員、平野貞夫氏らに「斉藤検察官が9月28日に検審に説明に行った」という情報を提供した。
 森議員はこの情報を元に国会質問をしているので、このことは事実だったと判断できる。
 Ⅹ氏はこの時の様子を一市民Tこう語った。
「 9月28日、東京地検庁舎の1階で、斉藤検察官に会った。その時、複数の民間人も居合せたが、"これから検審に小沢さんの不起訴理由の説明に行く"と話した。また後日、検審から帰ってきた斉藤検察官が、周囲に"検察審査員からは、何の質問もなかった"と不審そうに語ったという話も聞いた。9月28日と言えば、起訴議決がなされた後だが、斉藤検察官はそれを知らされずに説明に行ったのではないか。だから私達にも躊躇なく話したのだと思う。斉藤さんはこんなことで嘘を言う人ではない。彼は間違いなく議決前には説明に行ってない」
 
 <Ⅹ氏「斉藤検察官は議決前に説明に行ける状況ではなかった」>
 
 検察内部の事情に詳しいⅩ氏は、小沢検審当時の斉藤検察官の状況についてこう付け加えた。
「 斉藤さんは優秀な人。将来を嘱望されている。正義感も強く、上司や部下からの人望も厚い。何よりも検察の小沢捜査には懐疑的だった。
 小沢捜査は前任の吉田副部長が担当していて、斉藤さんは小沢捜査の状況をほとんど知らない。捏造捜査報告書を斉藤検察官が作成したように言われるが、それは事実に反する。あの捜査報告書は佐久間特捜部長が作成し、名前だけ使われたようだ。
 斉藤さんは当時、検審で起訴議決があったとされる頃、自民党大物議員二階俊博元経産相がからんだとされる『特許庁汚職事件』の捜査責任者として超多忙だった。
 この事件をひとことで言うと、特許庁の基幹系システムを総入れ替えする国家プロジェクトに、業者選定に際して、現職の二階俊博経産大臣が関与した疑いがもたれていたものだ。期間は5年に及び、発注総額は1000億円にも上るもので、東京地検特捜部の関心は、落札者である東芝と当時の大臣に向けられていた。7月頃からマスコミの関係者の話題にも上り始め、大がかりな強制捜査の準備が進められていた。
 汚職捜査チームの検事たちは、遅い盆休みを取った後、9月初旬に全員集合、臨戦態勢に入った。そして9月17日、東京地検特捜部は二階俊博議員の支援者やその関連施設など、東京、大阪あわせて複数箇所の家宅捜査を実施している。この様子は新聞、テレビでも報じられた。
 この模様は、週刊朝日10月19日号.pdf『二階元経産相―特許庁―東芝子会社 謎のトライアングルで公金54億円が消えた!』で詳しく報道された。
 斉藤検察官はまさしくこの事件捜査の現場指揮官だった。
 新聞では斉藤検査官は9月上旬に検審に説明に行ったとあるが、この汚職事件の捜査で忙しく、検審に説明に行く時間的余裕などあるはずもないことは容易に推測できる。
 斉藤検察官は、元大臣の逮捕に向けて着々と準備を進め、強制捜査で押収した証拠品の読み込みなどが落ち着いた9月下旬、やっと時間が取れるようになり、検審の求めに応じた。それが9月28日に検審に出向いた裏の事情である。であれば斉藤検察官による不起訴理由の説明が済まないと、小沢氏の起訴議決発表が出来ないので、検審はずいぶん焦っていたのではないか。
 さらに特捜部周辺では不思議なことが続いた。この特許庁汚職事件捜査は、結局立件が見送られてしまった。あれだけ新聞、テレビで強制捜査の様子が報道されたにも関わらずである。どうやら東芝の下請け先に野田財務大臣他、民主党の現役閣僚複数に政治献金していたソフトウエア会社が入っていたらしい。この会社は後に社長が脱税容疑などで特捜部に逮捕され、事件の一部が報道されたが、マスコミ関係者などの間では、この社長は政界タニマチとして有名な人物であった。また当時の法務大臣が立件にストップをかけたなどの噂も流れたが、真相は分からない。しかし事実として、東京地検特捜部が総力をあげて取り組んでいた、巨大疑獄事件は有耶無耶のまま幕が引かれた。二階元経産相は命拾いしたのである。」

 <斉藤検察官の下には、さらなる不運が降りかかる>
「2回目の議決発表があって間もなく、ジャーナリストの山岡俊介氏などのネット情報から、斉藤検察官が9月28日に説明に行ったらしいということが漏れ出した。
 国会議員の間で"斉藤検察官を証人喚問したら"という声が上がった。慌てた最高裁と法務省は、なんと斉藤検察官を、東京地検公判部に人事異動させた。
 そして小沢裁判の指定弁護士の補佐役につけ、起訴状を書いたことのない指定弁護士の家庭教師役をやらせたのである。これにより仮に国会から証人喚問を受けても、今公判中の担当検事ということで合法的にこれを拒否できる。この人事異動が異例であったことは次の事実でも証明できる。この一連のほとぼりがさめた頃、またもや斉藤さんは元の特捜副部長に戻ったのである。」

 <斉藤検検察官が9月14日以前に説明に出かけた記録がない>
  
 石川克子氏と一市民Tは、斉藤検察官が議決前に検審に説明に行ったかどうかを確認するため、検察庁から「検察官の出張管理簿」253枚を入手した。その帳簿から2回目審査期間中に斉藤検察官が検審に出向いたという記録を見つけることは出来なかった。
 出張管理簿253枚の抜粋 出張管理簿4事例.pdf

 <検察審査会事務局が議決後に斉藤検察官を呼んだのはアリバイ作り>
① 最高裁は架空議決日を9月14日に早めたため、「検察官説明」というアリバイを作りそびれた。
② アリバイを作っておくため、9月28日に斉藤検察官を呼んだ。議決したことを知らない斉藤検察官は地裁ロビーで会ったⅩ氏に、「検審に説明に行く」と、自ら語った。
 (Ⅹ氏は「斉藤検察官も、堺徹特捜部長も議決したことを知らなかった」と語っていた)
③ 斉藤検察官は検審事務局が用意したサクラに向かって不起訴理由を説明した。

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この記事を書いた人

志岐武彦のアバター 志岐武彦 一市民が斬る!! [Civil Opinions Blog]

日本の政治、行政、司法が、どうしようもなく劣化してしまったことを憂う一市民です。私達は、5年間の調査で、最高裁事務総局が管理する検察審査会が小沢一郎議員を架空議決で起訴議決してしまったことを確信しました。2012年には『最高裁の罠』(K&Kプレス)を著しました。2015年には、「最高裁をただす市民の会」のホームページを立ち上げました。

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